西暦一六〇〇年(慶長五年)九月、関ヶ原戦で敗れた小西摂津守行長は、大阪城に虜囚の身となり、のち堺に送られ、六条河原で処刑された。
簡単な記録が内心にイメージを喚起する。時日を経てそのイメージは胎動し、やがて生命を保持することを要求する。作者は記憶とイメージの接点をまさぐり、その発祥の過去にまで遡ろうとする。だが、この敗将の像が私の内で拡がりを増し、いつか定着していった経過をたどることは殆んど不可能に近い。
最初は稀薄な印象を受けただけの対象である。それが別の対象との連関で浮び上る。やがて日ごとの反復がイメージの堆積を作る。それでも、この対象に比類のない関心が注がれるためには、なお、時日の保留が必要だろう。
初秋の関ヶ原は残暑と底冷えが交錯するという。伊吹山と霊仙山の山あいを、中山道が東西に延びる。これを南北から囲んで乱立する山なみに西軍が布陣し、街道を中心に東軍が対峙したという。たしかに戦闘規模の大きさがうかがえる。しかし、いまこの岐阜県の地図を眺めるとき、布石の壮大さにもかかわらず、私はいつもの空しさに襲われるのだ。
あらゆる著名な戦闘史の中で、関ヶ原戦ほど醸成された因果関係が比重をもって語られる戦闘は他に例を見ないだろう。おそらく、戦闘そのものの退屈さが史家達の眼を戦闘以前に向けさせるのかもしれない。それは政権争奪戦というよりは、時代を するための必要事、そして個人の選択と宿命が集約された結末とも言える。作為と不作為、離脱と離反、それらのすべては微かな疑念を残しつつも既に予定されたものではなかったか。
歴史のエポックを明記する、しかし軍事的には愚にもつかない、あの大戦闘が行われた日はどんな日だったのだろうと私は思ってしまう。その前夜はしのつく雨、その日は快晴だったと記されているが、まさしく此地の気候の矛盾にも似た、人間のあらゆる情念と行動の奇怪な乖離を凝縮させた長い一日だったに違いない。
だが、小西行長の長過ぎる一日は、戦闘前の豪雨とともに終っていた。
風雨におびえる馬の嘶きが、木々のきしみをぬって聞えてくる。閉ざされた幕舎の中で、行長は床几に身を沈めたまま、己れの想念を反芻する。その思いを走る岐阜城陥落時の痛みがある。それは、あるいは宇土城を発つときに解脱したはずの苦悩と等質なのかもしれない。
ふと行長は松尾山の方に面を向けた。此処天満山から程遠い北方、そこに石田三成の陣所があった。
行長はこの僚友に常に言いがたい慨嘆を覚えてきた。彼は若い岐阜城主の危機に、行長の提案を 然と拒否したのだ。救援は非策、と三成は言った。勿論、それへの不満はない。三成の戦略は正しいのだ。しかし、行長は今でも思う、そもそもこの戦闘に戦略的な問題があるのだろうか? 行長が提案した救援すら、単に字句上の綾に過ぎない。ただ、同じ敗運を担った若い城主に、行長はせめて孤独のない敗北を与えたかった。だが、三成は、明日にも完了する未知の創作のとりこになっている。
石田三成の性癖である。談判にせよ、文面にせよ、他者への説得の過程で自らの自信を倍加させていく。その言辞にひそむ絶対性が、他者の反感を買い、あるいは人をひきつけた。彼の仮借ない論難に、怒りとともに引き下がった僚友達の数々が思い出される。半面、彼の論理を越えた熱情に心ひかれた人々もいた。謀将の大谷吉継がその例である。
しかし、織田秀信の場合は――。三河集団を除く殆んどの武将がいつかは迫られる決断の日々に、行長は秀信の意志に影響を及ぼすいかなる示唆をも与えなかった。この行長の最後の友情が若い貴公子には通じなかったのかもしれない。三成の説得に応じたという報せに接して、行長は終日胸を痛めたことを思い出す。秀信の選択に、多くの武将が誉めたに違いないあの緊迫があっただろうか、行長は疑問に思うのだ。
彼は、父信忠と祖父信長の勇気と気品を受け継いだが、養父秀吉の庇護のもとに、苦難の味をいささかも知らずに育ってきた。城主として、読書と茶道の日常に、加えてたしかに、事に直面して臆さない勇気の培養もあった。だが、戦いとは流血の惨事であり、それを自からの肉体を通して経験したことは一度もない。まして、選択とは賭けであり、賭けは滅亡と表裏にあることなど、確かな認識があるはずもなかった。ここでも主君秀吉の恩情が一つの仇を作っている。織田秀信にとって、滅亡とは知らぬ別世界での現象だった。
石田三成は人を誘ない、人を破局の淵に立たせていく。その上で、彼の英知は自からの限界を厳しく悟らせる。一つの例がある。周囲の耳目の一致するところ西軍の主将は三成であるにもかかわらず、彼はその名目を毛利元輝に委ねた。大谷吉継の建策だという。そして、それに従った三成の消極性は彼の傲岸といささかも矛盾せず、むしろ並外れた知力の結果なのだ。奇怪な男、と思わざるを得ない。この跳び交う思惑と疑念の渦巻く状況でそんな名目にどれだけの効果が期待できるとでも言うのか。
行長は三成における英知の無責任にいつも戸惑いを覚えてきた。その三成が武将として最初で最後の賭けを試みる。しかも己れの限界はどこまでも認識しつつ。